2026.07.31

災害の被害額は、あとから書き換わる|熊本と、311の15年

最初に出る被害額は、なぜいつも小さいのか。311では初動の試算が津波を含まず、政府の16.9兆円もストックの毀損だけを数えたものでした。書き換わり方を型で分けると、最後まで金額にならないものが残ります。

災害の被害額は、あとから書き換わる|熊本と、311の15年
Photo by Yilin Liu / Unsplash

しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。(寺田寅彦「天災と国防」1934年11月)

物理学者がこう書いたのはおよそ92年前のことです[1]。洞窟に住んでいれば地震で壊れるものをそもそも持ちません。壊れるものを増やしたのは文明です。そういう論法になっています。7月28日の熊本地震の被害はいまも数え上げの途中にあります。亡くなった方に哀悼の意を表し、被災された方にお見舞いを申し上げます。私にできることを一つ、被害の金額がこれからどう動くのかを過去の実例で先に見ておくことにします。数字が小さいうちに騒ぎ、大きくなった頃には誰も見ていません。それが災害報道のいつもの形でした。正しく数えることは復興を急かすことの反対側にあります。

今日のトピック

地震が発生したのは7月28日16時27分で、震源は熊本県熊本地方の深さ16キロでした。規模はマグニチュード7.1(暫定値)でした。宇城市と氷川町では最大震度7を記録しています[2]。30日16時30分時点の消防庁まとめでは死者34人・負傷者89人となりました。避難指示の対象は127,647世帯267,285人に上ります。より強い緊急安全確保の対象は46,610世帯92,743人です[3]。前日の同じ時刻のまとめでは死者が3人と報告されていました[3]。30日15時時点の断水は熊本県内11自治体の約93,700戸で、最大時は約108,100戸に達していました[4]。九州新幹線は筑後船小屋―鹿児島中央間で運転見合わせが続きます。高速道路は2路線9区間が通行止めです(30日午後時点)[4]

初動の試算は早くも出始めています。発災翌日の29日に暫定評価が出ました。出したのはチューリッヒの保険リンク証券運用会社Euler ILS Partnersです。保険損害30億ドルから45億ドルという数字でした。同社は経済損失の総額が保険損害をかなり上回る見込みだと述べています[29]。政府の被害額推計のほうは本稿執筆時点で確認できません。2016年の熊本地震で内閣府が資本ストックの毀損(きそん)額を2.4兆円から4.6兆円と示したのは5月23日で、発災の1か月あまり後のことでした[5]。保険という狭い口径の試算が先に出て、全体を数えた公的な推計は後から来ます。後で見るとおり2011年も同じ順序でした。

2016年になかった変数があります。災害救助法が適用された熊本県の10市10町1村には菊陽町・菊池市・合志市が含まれます[6]。売上が減った中小企業向けのセーフティネット保証4号についても経済産業省が29日に適用を発表し、事前相談が始まりました[6]。台湾積体電路製造(TSMC)の子会社JASMの熊本工場がある菊陽町を中心に半導体産業が集積した地域です[7]。地震直後の停止は各社に及びました。ソニーセミコンダクタマニュファクチャリングの熊本テクノロジーセンター(菊陽町)は生産を止めます。ルネサスエレクトロニクスは川尻工場(熊本市)と錦工場(球磨郡錦町)の操業を止めました。三菱電機も菊池市・合志市のパワー半導体工場の稼働を止めています[7]。JASMも操業を一時中断します。TSMCは発災当日の夜に「段階的に通常操業に戻りつつある」と台湾紙に答えました。30日時点ではラインの状況確認が続いており、装置の調整には時間を要する見通しです[30]。10年前の地震の際にJASMの工場はまだ存在していませんでした。

試算はまず小さく出る

2011年3月の記録から初動の試算の振る舞いがわかります。災害リスクモデル会社のAIR Worldwideが3月12日に保険損害試算を出しました。150億ドルから350億ドルです。ただしこの数字は地震単独のものでした。同社は「津波の影響を考慮していない」と明記しています[8]。9日後の3月21日には世界銀行の試算が報じられます。1,220億ドルから2,350億ドル。およそ7倍から8倍も大きい数字です[9]。数字がこれほど伸びた主因は被害の進行そのものより、数える範囲の拡大にあります。

日本政府の推計は6月24日に出ました。内訳は建築物等が約10兆4千億円・ライフライン施設が約1兆3千億円・社会基盤施設が約2兆2千億円です。農林水産関係が約1兆9千億円・その他が約1兆1千億円と続きます。総計は約16兆9千億円になります[10]。阪神・淡路大震災の約9.6兆円のおよそ1.8倍です[11]。逆向きの例もあります。内閣府自身の初期試算は3月23日時点で16兆円から25兆円と幅で示されました。6月の16.9兆円はその下限側への着地です[11]。狭く数えた金額は下から伸び、広く見積もった金額は上から削れます。どちらにしても最初の数字で終わることはありません。

注目したいのは金額ではありません。表に添えられた注です。原文はこう書いています。「各県及び関係府省からのストック(建築物・ライフライン施設・社会基盤施設等)の被害額に関する提供情報に基づき、内閣府(防災担当)において取りまとめたものである。今後、被害の詳細が判明するに伴い、変動があり得る」[10]

ここに記されているのはストックの毀損(きそん)額です。壊れた建物と設備の値段でしかありません。口径がそうである以上、止まった工場の逸失利益も原発事故の処理費用も人が去った街のその後も入りようがありません。そして政府自身が最初から「変動があり得る」と宣言しています。16.9兆円は結論ではありません。途中経過として発表された数字でした。

そして15年かけて書き換わる

実際にはどう動いたか。福島第一原発の事故処理費用は従来の政府想定でおよそ11兆円でした。2016年12月に経済産業省がこれを21兆5千億円へ改めます。内訳は廃炉が2兆円から8兆円へ・賠償が5兆4千億円から7兆9千億円へ・除染が2兆5千億円から4兆円へ・中間貯蔵が1兆1千億円から1兆6千億円へ。ほぼ倍です[12]。2019年には民間シンクタンク日本経済研究センターが、汚染水の増加次第で80兆円を上回る恐れがあると試算しました。この試算の幅は35兆円から80兆円超です。下限はデブリを取り出さずに閉じ込める方式を選んだ場合になります[13]。事故から8年で政府の想定と民間試算を合わせた見積りの幅は11兆円から80兆円超へ広がりました。政府の想定はその後も動きます。2023年末には約23兆4千億円に引き上げられました[31]

電力のコストも積み上がりました。資源エネルギー庁は原発停止分を火力で補ったと仮定した燃料費の増加を試算しています。2011年度2.3兆円・2012年度3.1兆円・2013年度3.6兆円・2014年度3.4兆円[14]。その資料の注記に注目します。2014年度3.4兆円を2010年度基準で分解すると化石燃料の消費量増が約7割の2.4兆円です。為替を除いた燃料価格上昇が約2割の0.8兆円になります。円安の分が約2割の0.6兆円で、ウラン燃料費の減少が約1割弱のマイナス0.3兆円になります[14]。資料自身が「四捨五入のため合計が3.5兆円となり0.1兆円の誤差が生じています」と注記しています。政府が示すとおりこれは原発停止だけの請求書ではありません。燃料価格と為替で約4割を占めます。

家計への影響ははっきりしています。電気料金の平均単価は2010年度と2014年度で家庭用が約25%・産業用が約40%上がりました[14]。東京電力の標準的な世帯では月6,309円が8,452円へ、約34%の上昇です(平均単価とは口径が異なります)[14]。国全体の鉱物性燃料の輸入額は2010年の17.4兆円から2014年の27.7兆円へ増えました。うち液化天然ガスは3.5兆円から7.9兆円へ2倍を超えます[15]。この金額には数量増だけでなく燃料価格上昇も含まれます。貿易収支は2010年の約6.6兆円の黒字から2011年に赤字へ転じました。赤字は2015年まで5年続きます[15]

企業と人の側はさらに長く伸びています。震災関連の倒産は2026年2月末までの累計で2,083件です[16]。倒産の統計に出ない分もあります。帝国データバンク仙台支店は岩手・宮城・福島の沿岸部で津波や原発事故の被害が大きかった地域に本社を置いていた5,004社を追跡しました。2022年2月時点で事業継続を確認できた企業は64.8%にとどまります[17]。福島県の避難者は2012年5月の約16万人でピークを打ち、今年2月時点でなお23,410人います[18]。原発は15年で15基が営業運転を再開しましたが、停止期間は震災前から止まっている炉を含めて平均15年8か月です[19]

私の意見

被害額の書き換わり方を私は型で分けています。

一つ目は数える範囲が広がる型です。311の初動で起きたのがこれでした。地震だけ・保険がかかっている分だけ・ストックだけといった狭さです。狭く数えた最初の数字が後から範囲の拡大とともに膨らみます。範囲を狭めた側に悪意はありません。速く出すには狭く数えるしかないからです。

二つ目は時間が経って初めて金額になる型です。事故処理費が11兆円から21兆5千億円へ、そして民間試算で80兆円超へ動いたのがこれです。廃炉のような数十年の作業は着手して初めて難しさがわかります。この型の特徴は金額が上がる方向にしか動きにくいことです。

三つ目はもっと厄介になります。最後まで金額にならない型です。2016年熊本の内閣府資料は農林水産関係の被害を1,657.3億円・熊本県内の公共土木施設を1,902億円と細かく積み上げています。ところが観光業については「農林水産業・観光業への地域産業への影響も大きい」(原文ママ)と一行あるだけで金額が出てきません[20]。人口の流出も同じです。数えられるものは金額になり、数えにくいものは文章になります。そして文章は集計されません。

この三つ目が今回の熊本でとくに効くとみています。半導体の集積は壊れた建屋の修理費としてなら数えられます。しかし供給が止まる間に顧客が他国の代替先へ移ったとして、それを誰も被害額として計上しません。2011年のルネサス那珂工場は車載マイコンの世界シェア40%のうち25%を生産していました。単純計算で世界供給の約1割が止まった勘定です[21]。あの時の減産は各社の決算に散らばって消えていきました。

金額が動く理由はもう一本あります。金利です。復興も復興を機に進めるエネルギー転換も費用の大半は借りた金です。2011年以降に福島沖で浮体式洋上風力の実証事業が進みました。復興の象徴と位置づけられながら、2020年度から2021年度にかけて3基すべてが撤去されます[22]。その後の世界の洋上風力は金利上昇で次々に止まります。デンマークのØrstedは米国案件の中止にあたり「長期の米金利の上昇が事業性をさらに悪化させた」と述べています。2023年1〜9月に284億デンマーククローネを減損しました[23]。日本でも三菱商事が2025年8月に秋田・千葉の3海域から撤退しています[24]。調査会社のWood Mackenzieは米国を想定した分析を出しました。リスクフリー金利が2%ポイント上がると再生可能エネルギーの均等化発電原価が最大20%上がるという試算です。ガス火力の複合発電なら11%です[25]。同じ計画でも金利が違えば費用が変わります。復興計画の費用も同じ性質を持ちます。

期待の側も書き換わります。熊本への半導体投資の経済波及効果です。九州フィナンシャルグループは2022年に10年で約4兆2,900億円と試算しました。それを2023年8月に約6.9兆円・2024年9月には11.2兆円へと改めています[26]。政府の補助は第1工場が最大4,760億円・第2工場が最大7,320億円です。合わせて1兆2千億円規模になります[27]。設備投資は2工場で200億米ドル超、円換算で約2兆9,600億円とされています。この円建ての数字は1ドル148円で計算したものです[27]。為替が動けば工場が同じでも投資額の表示は変わります。被害も便益も金額のほうが動きます。

そして今回いちばん短い時間で書き換わっている数字は被害額ではありません。人の数です。29日16時30分の消防庁まとめを見ます。都道府県からの報告を集計した表には死者3人とありました。同じ紙の消防本部等情報の欄には死者13人を含む傷病・災害との関連を調査中の数も載っています[3]。首相が同じ日朝の会見で述べた「災害との関連の調査中を含め死者13名」は後者の数え方です[28]。調査中の分は関連が認定されれば災害関連死として確定の数字に入ります。どちらも一次の発表で、どちらも正しいものです。数え方が違うだけです。翌30日16時30分の表で死者は34人になりました。うち9人はまだ調査中の数です[3]。同じ災害の死者数が切り取り方と時点で3人にも13人にも34人にもなります。時点と数え方を書かない数字は災害において事実ではなく素材になります。

寺田寅彦の一文に戻ります。文明が進むほど災害は劇烈になります。当時の壊れるものといえば建物のことでした。いまはそこに世界の供給網が乗っています。壊れるものが増えたぶん被害額が確定するまでの時間も伸びました。

注目の数字

約16兆9千億円

東日本大震災の直接被害額として2011年6月24日に内閣府が公表した数字です[10]。同じ表の注にはこうあります。「今後、被害の詳細が判明するに伴い、変動があり得る」。この一文のとおり事故処理費は11兆円から21兆5千億円へ、のちに約23兆4千億円へと改まり、電気料金は家庭用で約25%上がり、避難は15年続きました。16.9兆円は震災の値段ではなく、震災から3か月半の時点で数えられた分の値段でした。

見ておきたいものを挙げます。a)内閣府による今回の被害額推計がいつ公表されるか。2016年は1か月あまり後でした。b)熊本の半導体各社が稼働を全面再開する時期です。三菱電機は30日に一部工程の再開を発表しています[7]。c)補正予算や予備費の規模です。復旧の金額が先に決まり被害の金額は後から追いつきます。

今日はここまでです。良い一日を。


出てきた言葉

ストック毀損(きそん)額: 地震などで壊れた資本ストック(建物・設備・道路など)の価値を積み上げた金額。内閣府が災害後に公表する被害額はこの口径です。工場が止まったことによる生産や利益の減少(フローの損失)は含みません。

災害関連死: 建物の倒壊などによる直接の死ではありません。避難生活の負担や持病の悪化などで亡くなった場合に自治体の審査を経て認定される死です。認定には時間がかかります。災害直後の死者数と数年後に確定する死者数は大きく変わります。

災害救助法: 一定規模以上の災害で適用される法律です。避難所の設置や住宅の応急修理などの費用を国と都道府県が負担します。適用地域の指定は中小企業向けの金融支援の対象範囲にも連動します。

セーフティネット保証4号: 災害の影響で売上が減った中小企業に対する制度です。信用保証協会が通常の保証とは別枠で融資額の全額を保証します。

均等化発電原価(LCOE): 発電所の建設から廃止までの総費用を生涯の発電量で割った1キロワット時あたりの原価です。初期投資の比率が高い電源ほど金利の水準に敏感になります。

出典

[1] 青空文庫(底本「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫)

[2] 首相官邸 会見(2026年7月28日)国土交通省 被害状況等について(第5報)

[3] 総務省消防庁 災害対策本部(第21報)同(第17報)

[4] 国土交通省 令和8年熊本地震による被害状況等について(第9報)同(第5報)

[5] 内閣府 平成28年熊本地震が地域経済に与える影響

[6] 経済産業省 被災中小企業・小規模事業者支援措置(2026年7月29日)内閣府 災害救助法の適用について(2026年7月28日)

[7] 九州経済産業局 半導体に関する最近の政策動向について(2024年2月)ソニーセミコンダクタソリューションズ お知らせ(2026年7月29日)ルネサスエレクトロニクス お知らせ熊本日日新聞(2026年7月29日)熊本日日新聞(2026年7月30日)

[8] AIR ALERT Tohoku Earthquake Update 2(2011年3月12日・英語)Claims Journal(2011年3月14日報道・英語)

[9] Washington Post(2011年3月21日・英語)

[10] 内閣府 防災白書 附属資料19「東日本大震災における被害額の推計」

[11] 内閣府 震災による経済被害(ストック)

[12] 福島第一原発の事故処理費用21兆5,000億円への改定と内訳(2016年12月9日・従来想定11兆円): 日本経済新聞(2016年12月9日)

[13] 日本経済研究センター

[14] 資源エネルギー庁 エネルギー白書2015 第1部第3章第1節

[15] 財務省貿易統計 輸出入額の推移(主要商品別・世界・年別・輸入)同 年別輸出入総額の推移表

[16] 東京商工リサーチ

[17] 被災沿岸部に本社を置いていた5,004社のうち事業継続を確認できたのは3,244社=64.8%・非継続1,760社=35.2%(2022年2月時点・帝国データバンク仙台支店の追跡調査・2022年3月8日公表): 日本経済新聞(2022年3月14日)

[18] 福島県 ふくしま復興情報ポータルサイト

[19] 日本原子力産業協会 日本の原子力発電炉

[20] 内閣府(防災担当) 災害対応事例(事例コード201601)

[21] ルネサス那珂工場(2011年)の車載マイコン世界シェア40%中25%を生産・世界供給の10%停止: JBpress(2011年5月2日)※2021年の火災による減産(160万台規模)とは別の事象

[22] 浮体式洋上風力発電導入マニュアル(福島洋上風力コンソーシアム)

[23] Ørsted(英語)

[24] 三菱商事 ニュースリリース

[25] Wood Mackenzie プレスリリース(2024年4月18日・英語)

[26] 九州経済産業局 半導体に関する最近の政策動向について(2024年2月)

[27] 九州経済産業局(2024年2月)経済産業省 特定半導体生産施設整備等計画の概要(認定日2024年2月24日)

[28] 首相官邸 令和8年熊本地震についての会見(2)

[29] Artemis(2026年7月29日・英語)

[30] ITmedia NEWS(2026年7月29日)日経クロステック(2026年7月30日)

[31] 東京新聞

お断り

本記事は公開情報にもとづく解説であり、特定の金融商品の売買を推奨する投資助言ではありません。今回の地震に関する数値は各時点の速報値で、資料自体に「今後変わることがある」と明記されています。その後の発表で変わっている可能性があります。「私の意見」の節は、断定的な予測ではありません。

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