エルニーニョはまだ弱いのに、冬に「非常に強い」確率63%
エルニーニョが発生し、この冬にかけて強まる見通しです。砂糖や小麦の食料価格が再び不安定になるなか、これは一時的な供給ショックか、中央銀行が動くべき物価上昇か。食料の家計ウェイトが高い新興国ほど効く「非対称」を、公開一次情報で中立に整理します。
「インフレは、いつでもどこでも貨幣的な現象である。」1963年の著書『Inflation: Causes and Consequences』で経済学者ミルトン・フリードマンが説き、以後半世紀以上金融政策の教科書に居座り続けている言葉です。
その教科書と向き合う中央銀行が今週ひとつ増えました。6月11日の利上げ声明で欧州中央銀行(ECB)はこう書いています。「異常気象が食料価格を想定以上に押し上げうる」。貨幣の量ではなく、雨と気温の話です。
今日のトピック
+0.7℃。太平洋の監視海域(Niño-3.4)における、6月上旬時点の水温偏差です[1]。米海洋大気庁(NOAA)はこの数字とともに6月11日、エルニーニョの発生を確認する発表(El Niño Advisory)を出しました。現状はまだ弱いものの、NOAAは北半球の冬(2026年11月〜2027年1月)にかけて強まり、「非常に強い」水準に達する確率を63%と見ています[1]。
弱いいまと、自信ありげな冬の予報。ECBの声明は、この発表と同じ6月11日に出されたものです[6]。
一時的な供給ショックとして見送るべきか、それとも動くべきか。今日はこの争点を、食卓の値段から追います。
エルニーニョから、食卓の値段へ
エルニーニョは数年に一度、太平洋赤道域の海面水温が上がることで世界の天候を揺らす現象です。干ばつや豪雨を通じて、農作物の供給そのものを細らせます。今回の発生は国際気候研究所(IRI)が秋までの継続確率をほぼ100%と見ており[1]、世界銀行も2026年の食料価格の上振れ要因として警戒しています[2]。
その一端はすでにFAOの数字に出ています。国連食糧農業機関(FAO)の食料価格指数は5月時点で130.8、前月比-0.2%・前年比+2.9%で、全体としては高止まりしつつ落ち着いています。ただし内訳には差があります。穀物は前月比+2.6%、なかでも小麦は+3.4%・前年比+7.8%と4カ月連続で上昇し、米国の冬小麦は数十年来の不良だといいます[3]。砂糖は+7.5%で2025年10月以来の高値、米(コメ)は+2.7%でFAOは「エルニーニョがインド・タイの生産に悪影響を与えうる」と指摘する一方、植物油は-4.6%と2026年に入ってからは下落しています[3]。
規模感の目安として、ある米系大手は、強いエルニーニョは5年間で世界GDPの約2.7〜3.2%(3〜5兆ドル)、「超」級なら最大7兆ドル(約6.4%)の損失になると試算しています[5]。学術面では、査読付き研究(2023年・Science誌)が1982-83年のエルニーニョに4.1兆ドル、1997-98年に5.7兆ドルの累積所得損失を帰属させ、2023年のエルニーニョは2029年までに最大3兆ドル世界経済を押し下げうると試算しました。ただしいずれも単年でなく数年がかりの累積の話で、手法には議論があり、過去の通説より大きい数字である点には注意が必要です[4]。
中央銀行はすでに動いています。ECBは6月11日に25bp利上げし(預金金利2.25%)、声明で「異常気象が食料価格を想定以上に押し上げうる」と上振れリスクを明記しました。もっとも、利上げの主因は中東エネルギーです[6]。インド準備銀行(RBI)は6月5日に政策金利を5.25%で据え置く一方、2026年度のインフレ見通しを0.5ポイント引き上げて5.1%としました[7]。
「異常気象が食料価格を想定以上に押し上げうる」のか
ECBが名指ししたリスクは、すでに数字に表れ始めています。砂糖・小麦の上昇はすでに見た通りです[3]。パーム油・ココア・コーヒーにも上振れ(供給減による価格上昇)リスクがあります。なかでもパーム油は無縁ではありません。世界供給の8割超をインドネシアとマレーシアが握る作物で、2016年のエルニーニョではマレーシアの生産が前年比で約13%落ち込みました[12]。2026年はリスクが単独ではなく積み重なっている年でもあります。エルニーニョに加え、中東エネルギーへの不安があり、肥料価格は2022年以来の高さです[2]。世界銀行は食料価格のベースシナリオを+2.5%と置きつつ、リスクの向きは上振れだとしています[2]。そして、食料が家計支出の40〜50%超を占める新興国ほど、一時的な高騰でも賃金や物価期待への二次効果が出やすくなります。同じ食料ショックでも、家計負担が十数%にとどまる先進国とは重みが違います[8][10]。ECBはすでに利上げに動き、インフレは「広がっている」と表現しました[6]。供給ショックを放置すれば物価期待が外れるという1970年代の教訓も、この立場を支えます[9]。
「中庸で短命なら見送れる」のか
この立場がまず言うのは、天候ショックは多くの場合、恒久的な痕を残さないということです[9]。金融政策の効果が表れるまでには長いタイムラグがあり、いずれ消えていく高騰に向けて引き締めるのは、むしろ逆効果になりかねません[9]。足元の数字も極端というほどではありません。2026年の食料価格のベースシナリオは+2.5%と穏やかで[2]、植物油の指数はむしろ前月比-4.6%で下落しています[3]。米(コメ)についても、世界最大の輸出国インドが豊作で輸出規制を撤廃し、約3000万トンの輸出が見込まれることが相場の重しになっています[11]。コアインフレへの波及もまだ大きくは表れていません。ECB総裁ラガルドはかねてこう整理しています。「供給ショックが中庸で短命なら、中央銀行は原則として見送れる。動くべきは、ショックが大きく持続的になり、物価期待が外れる恐れがあるときだ」[9]。この立場から見れば、エルニーニョは「これから・数年がかり」で効いてくるフォワードのリスクであり、いま急いで引き締めで応じる話ではありません。
強気にも慎重にも、それぞれの言い分があります。分かれ目は天気そのものではなく、ショックの持続性と物価期待です。2026年5月のIMF論文が問うたのも、まさにこの一点でした[9]。決着はまだついていません。
私の意見
NOAAの発表そのものが少しねじれた形をしています。いまの水温偏差(+0.7℃)はまだ「弱い」水準なのに、半年先の予報だけがすでに「非常に強い」63%という高い自信を示しているからです[1]。