原油は4年ぶり高値から急落|主役は地政学から中銀へ
4年ぶり高値まで急騰した原油は、米イランの停戦で急落しました。危機は去ったのか、それとも一服にすぎないのか。物価の主役が地政学から中央銀行へ移る局面を、強気と弱気の両論で整理します。
「石油の安全と確実性は多様性の中にのみあります。」1913年7月。英国議会で海軍予算をめぐる演説をした当時の海相ウィンストン・チャーチルの言葉です。英海軍の燃料を石炭から石油へ切り替えるにあたって供給を一国に頼らない多様化を説いた一節でした。政府が中東の油田会社への出資に踏み切るのはその翌年です。
皮肉なことにこの「多様性」の追求こそが英国を中東の石油へ導きました。ホルムズ海峡というたった一本の水路への依存へです。それから110年以上たった今も世界はこの海峡一本に大きく頼ったままです。今年もまたその水路をめぐって原油が乱高下しました。
今日のトピック
126.41ドル。原油(ブレント)が2026年4月30日につけた値で4年ぶりの高値です[1]。中東の戦争でホルムズ海峡の通航が細っていきました。原油はすでに3月には約120ドル(約1万8000円)まで上がっており逃げ場のない高値圏にありました[1]。
わずか2カ月後の6月末にブレントは約73ドル(約1万1000円)まで下がりました。四半期では四割弱(約38%)の下落となり2020年以来最大の下げ幅です[1]。
押し上げた理由と押し下げた理由は性質がまるで違います。値を吊り上げたのはホルムズ封鎖という物理的な脅威でした。押し下げたのは6月17日に署名された「イスラマバード覚書」という紙の上の合意にすぎません[2]。しかもその合意自体が下旬に一度破られています[7]。
原油の急落は米国のインフレを動かしていた主役を地政学から中央銀行へ入れ替えつつあります。この下落を支えている停戦がどこまで堅いのか。まだ確かめようがありません。
ホルムズ海峡と、一度破られた停戦
一つの海峡の話が世界の物価にまで届く理由は単純です。ホルムズ海峡は世界の海上原油貿易の4分の1超が通る要衝です。その量は1日あたり約2000万バレルにのぼり世界の石油消費の約2割にあたります。世界のLNGの約5分の1もここを通ります[4]。
封鎖の可能性は原油価格に「戦争リスクのプレミアム」を上乗せします。6月17日の停戦覚書がそれを大きく剥がしました。トランプ大統領とペゼシュキアン大統領が署名した全14項目には攻撃停止・海上封鎖の解除・ホルムズの60日間開放が含まれます[2]。
ただし通航量は6月末時点で封鎖前の約4分の1(原油量ベース)にとどまります。完全復旧ではありません[2][4]。
覚書は署名からひと月と経たずに試されました。6月20日ごろにイランが海峡の再閉鎖を宣言しました。25日には商船へのドローン攻撃、26日には米軍の空爆が続きます。27日にはイランが湾岸の米軍基地を攻撃し、双方が覚書違反を主張する応酬になりました[7]。
その後にあらためて攻撃停止と協議再開で合意したと報じられました[8]。核・制裁といった根本の対立は依然として先送りのままです[2]。
この原稿の時点(7月1日)でも停戦そのものは続いています。同日にイランは米国との直接協議を拒み、カタール仲介の間接協議を選んだと報じられました。外交の綱引きはまだ終わっていません[11]。
この原油の動きは米国の物価にも直結していました。5月の米CPIは総合で+4.2%と約3年ぶりの高さです。エネルギーは前年比+23.5%、ガソリンは+40.5%で月間の物価上昇の6割超を占めていました[5]。
一方でコア(食品・エネルギーを除く)は+2.9%と落ち着いていました。この物価高が「エネルギー主導」だったことを示しています[5]。
Fedは6月17日に政策金利を3.50〜3.75%で据え置き、年内の利下げ観測を消しました(No.002)[6]。原油の急落はこの圧力を和らげる方向に働きます。
戦争リスクのプレミアムは剥がれた
強気(最悪期は過ぎたと考える立場)の論者は停戦が原油から「戦争リスクのプレミアム」を剥がした点を重く見ています。
原油はピークの約126ドルから一時73ドル前後まで下がり、四半期では四割弱(約38%)の下げとなりました[1]。株式市場の警戒感を示すVIXも6月30日には16.45まで下がっています[3]。
金融環境も緩みました。景気後退の確率見通しを引き下げた向きもあります。当面のホルムズ供給不安が後退すればエネルギー由来のインフレ圧力も和らぎます。実際に米国の物価高はエネルギー主導でコアは+2.9%と落ち着いていました[5]。
原油が下がればそのコアの落ち着きが表に出やすくなり、中央銀行が緩和へ動く余地も広がるでしょう。次の争点は地政学そのものから中央銀行の判断へ移っていきます。強気の論者はそう見ています(No.002)。
覚書は、すでに一度破られている
弱気(危機は去っていないと考える立場)の論者は6月17日の覚書がそもそも60日間の「一時停戦」にすぎない点を指摘します。核開発・制裁・ミサイルといった根本の対立は未解決のまま先送りされています[2]。実際に6月下旬には商船へのドローン攻撃や米軍の空爆を伴う再燃が起きました[7]。
ホルムズ海峡も完全には開いていません。通航量は6月末時点で封鎖前の約4分の1(原油量ベース)にとどまります[2][4]。機雷や通航料の問題も残り、イランは海峡を交渉の「てこ」として握り続けています。
停戦はこの号が扱う期間だけでもすでに一度破られました。市場は再燃リスクを過小評価しています。そういう警告もあります。ホルムズが再び滞れば原油は再び跳ね上がります。弱気の論者はそう警戒しています。
強気にも弱気にもそれぞれの言い分があります。どちらの見方が正しいかはまだ誰にも分かりません。
EIAが6月に示した見通し(STEO)はブレントを6〜7月平均で約105ドル、第4四半期に約89ドルとしていました[9]。ただしこれは「ホルムズ封鎖の継続」を前提にした数字です。現実は停戦によって73ドルまで急落しました[9]。地政学がからむ価格は前提が崩れると見通しも大きくズレます。そういう一例です。
日本に効いてくる時間差の話もあります。原油の変動はガソリンには数週間〜1か月で反映されます。電気・ガスは制度や輸入契約の関係で反映が遅く、概ね半年〜1年近くかかります[10]。
政府は2026年7〜9月使用分の電気・ガス代の激変緩和策を再発動しており、夏のあいだ家計への影響は抑えられています[10]。秋以降に円安と重なれば遅れて効いてくるおそれがあります。5月の日本のCPIは総合で+1.5%とまだ落ち着いています(No.001)[10]。
ホルムズの通航が「戦前を超えた」との当局発言もあります。ただし独立系の船舶データとは食い違っています。数字は誰が集計したかで表情を変えます[2]。
私の意見
停戦は本当に危機を終わらせたのか。それとも一度破られた「一時停戦」がこの先もう一度破られるだけなのか。今日出てきた材料を並べ直すとこの問いに答える手がかりが見えてきます。