原油 ・ インフレ ・ 地政学2026.07.01

原油は4年ぶり高値から急落|主役は地政学から中銀へ

4年ぶり高値まで急騰した原油は、米イランの停戦で急落しました。危機は去ったのか、それとも一服にすぎないのか。物価の主役が地政学から中央銀行へ移る局面を、強気と弱気の両論で整理します。

原油は4年ぶり高値から急落|主役は地政学から中銀へ
Photo by Fredrick F. on Unsplash

「石油の安全と確実性は、多様性の中に、ただ多様性の中にのみあります。」1913年7月の英国議会の海軍予算をめぐる演説で、当時の海相ウィンストン・チャーチルはこう述べました。英海軍の燃料を石炭から石油へ切り替えるにあたり、供給を一国に頼らない多様化を説いた一節です。中東の油田会社への出資に政府が踏み切るのは、その翌年でした。

皮肉なことに、この「多様性」の追求こそが英国を中東の石油、つまりホルムズ海峡というたった一本の水路への依存に導く出発点になりました。それから110年以上たった今も、世界はこの海峡一本に大きく頼ったままです。今年もまた、その水路をめぐって原油が乱高下しました。


今日のトピック

126.41ドル。原油(ブレント)が2026年4月30日につけた値です。4年ぶりの高値[1]。中東の戦争でホルムズ海峡の通航が細るなか、原油はすでに3月には約120ドルまで上がっており[1]、逃げ場のない高値圏にありました。そこからわずか2カ月後の6月末、ブレントは約73ドルまで下がっています。四半期では四割弱(約38%)の下落、2020年以来最大の下げ幅です[1]

押し上げた理由と押し下げた理由は性質がまるで違います。値を吊り上げたのはホルムズ封鎖という物理的な脅威でしたが、値を押し下げたのは6月17日に署名された「イスラマバード覚書」、つまり紙の上の合意にすぎません[2]。しかもこの合意自体が下旬に一度破られています[7]

原油の急落は、米国のインフレを動かしていた主役を地政学から中央銀行へ入れ替えつつあります。同時に、この下落を支えている停戦がどこまで堅いかは、まだ確かめようがありません。

ホルムズ海峡と、一度破られた停戦

一つの海峡の話が世界の物価にまで届く理由は、単純です。ホルムズ海峡は、世界の海上原油貿易の4分の1超、1日あたり約2000万バレル(世界の石油消費の約2割)、世界のLNGの約5分の1が通る要衝です[4]。封鎖の可能性は原油価格に「戦争リスクのプレミアム」を上乗せし、6月17日の停戦覚書(トランプ大統領とペゼシュキアン大統領が署名。14項目・攻撃停止・海軍封鎖の解除・ホルムズの60日間開放を含む)は、それを大きく剥がしました[2]。ただし通航量は6月末時点で封鎖前の約4分の1(原油量ベース)にとどまり、完全復旧ではありません[2][4]

覚書は署名からひと月と経たずに試されています。6月20日ごろにイランが海峡の再閉鎖を宣言し、25日には商船へのドローン攻撃、26日には米軍の空爆、27日にはイランによる湾岸の米軍基地への攻撃と、双方が覚書違反を主張する応酬が続きました[7]。その後、あらためて攻撃停止と協議再開で合意したと報じられています[8]。核・制裁といった根本の対立は依然として先送りのままです[2]。この原稿の時点(7月1日)でも停戦そのものは続いていますが、同日、イランは米国との直接協議を拒否し、カタール仲介の間接協議を選んだと報じられており、外交の綱引きは終わっていません[11]

この原油の動きは、米国の物価にも直結していました。5月の米CPIは総合+4.2%(約3年ぶりの高さ)、エネルギーが前年比+23.5%(ガソリンは+40.5%)で、月間の物価上昇の6割超を占めていました[5]。一方でコア(食品・エネルギーを除く)は+2.9%と落ち着いており、この物価高が「エネルギー主導」だったことを示しています[5]。Fedは6月17日、政策金利を3.50〜3.75%で据え置きつつ、年内の利下げ観測を消しました(No.002)[6]。原油の急落は、この圧力を和らげる方向に働きます。

戦争リスクのプレミアムは剥がれた

強気(最悪期は過ぎた、と考える立場)の論者は、停戦が原油から「戦争リスクのプレミアム」を剥がした点を重く見ています。原油はピークの約126ドルから一時73ドル前後まで下がり(四半期では四割弱・約38%の下げ)[1]、株式市場の警戒感を示すVIXも6月30日には16.45まで下がりました[3]。金融環境は緩み、景気後退の確率見通しを引き下げた向きもあります。当面のホルムズ供給不安が後退したことで、エネルギー由来のインフレ圧力も和らぎます。実際、米国の物価高はエネルギー主導であり、コアは+2.9%と落ち着いていました[5]。原油が下がれば、そのコアの落ち着きが表に出やすくなり、いずれ中央銀行が緩和へ動く余地も広がります。次の争点は地政学そのものより、それを受けた中央銀行の判断に移っていきます。強気の論者は、そう見ています(No.002)。

覚書は、すでに一度破られている

弱気(危機は去っていない、と考える立場)の論者は、6月17日の覚書がそもそも60日間の「一時停戦」にすぎない点を指摘します。核開発・制裁・ミサイルといった根本の対立は未解決のまま先送りされており[2]、実際に6月下旬には商船へのドローン攻撃や米軍の空爆を伴う再燃が起きています[7]。ホルムズ海峡も完全には開いておらず、通航量は6月末時点で封鎖前の約4分の1(原油量ベース)にとどまります[2][4]。機雷や通航料の問題も残り、イランは海峡を交渉の「てこ」として握り続けています。停戦はこの号が扱う期間だけでもすでに一度破られた実績があります。市場は再燃リスクを過小評価しているという警告もあります。もしホルムズが再び滞れば、原油は再び跳ね上がりかねません。弱気の論者は、そう警戒しています。

強気にも弱気にも、それぞれの言い分があります。どちらの見方が正しいかは、まだ誰にも分かりません。

余談。EIAが6月に示した見通し(STEO)は、ブレントを6〜7月平均で約105ドル、第4四半期に約89ドルとしていました[9]。ただしこれは「ホルムズ封鎖の継続」を前提にした数字で、現実は停戦によって73ドルまで急落しています[9]。地政学がからむ価格は、前提が崩れると見通しも大きくズレる、という一例です。

もう一つ、日本に効いてくる時間差の話があります。原油の変動はガソリンには数週間〜1か月で反映されますが、電気・ガスは制度や輸入契約の関係で遅く、原油の動きが出そろうまで概ね半年〜1年近くかかります[10]。政府は2026年7〜9月使用分の電気・ガス代の激変緩和策を再発動しており、夏のあいだ家計への影響は抑えられています[10]。補助が薄くなる秋以降、円安と重なれば遅れて効いてくるおそれがあります。5月の日本のCPIはまだ落ち着いています(総合+1.5%、No.001)[10]。なお、ホルムズの通航が「戦前を超えた」との当局発言もありますが、独立系の船舶データとは食い違っています。数字は、誰が集計したかで表情を変えます[2]

私の意見

停戦は本当に危機を終わらせたのか、それとも一度破られた「一時停戦」が、この先もう一度破られるだけなのか。今日出てきた材料を並べ直すと、この問いに答える手がかりが見えてきます。

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