2兆元の引っ越し|中国の家計が預金を動かし始めた
動かさないことの利息が薄くなったとき、人はお金を動かし始める。日韓中の三部作の三本目は、出口が国内に閉じているぶん熱が内側にこもる、中国の家計マネーの話です。
ただ無塩氏のみ千金を出して貸し、その利息は十倍であった。(司馬遷『史記』貨殖列伝より)
紀元前154年、呉楚七国の乱。出征する諸侯にお金を貸す者が誰もいないなか、無塩氏という金貸しだけが千金を投じました。乱は3か月で平定され、無塩氏はその年のうちに十倍の利息を得て、関中の富豪に並んだと司馬遷は記しています。お金は、動かした者に報いることがある。そして、動かさないことの利息が薄くなったとき、人はお金を動かし始める。今週は、その動き始めの音が聞こえる中国の家計の話です。
今日のトピック
数字から入ります。中国の家計預金(住戸存款)は、今年4月にひと月で1.94兆元、5月にさらに0.11兆元、あわせて約2.05兆元減りました。家計預金が2か月連続で減るのは、株式ブームだった2015年以来、およそ10年ぶりのことです[1]。6月には一転して1.95兆元増え、上半期の累計は7.58兆元の増加になりましたが、この累計は前年同期より3.19兆元少ない伸びです[1]。つまり「春に大きく動き、夏に戻ったが、預金に積み上がる速度そのものが細っている」。これが実測の姿です。
動いたお金はどこへ行ったのか。すべてを追跡できる単一の統計は存在しないため、状況証拠を並べます。まず株式市場です。上半期のA株の売買代金は約317.5兆元と前年同期のほぼ2倍で、半期として史上最高[2]。上海証券取引所の新規口座開設は上半期に2,016万件と前年同期比で約60%増えました[2]。信用取引の残高は6月23日に沪深北3市場の合計で初めて3兆元を突破しました(30,009.71億元)。その後は株価の調整とともに7月半ばには2兆8,000億元を割り込むまで減少していますが、それでも2015年のブーム期のピークを大きく上回る水準です[3]。指数の上がり方には濃淡があり、上海総合は上半期+3.2%にとどまる一方、深セン成分は+19.8%、創業板指は+35.6%、科創50は+64.3%と、成長株ほど急でした[2]。預金の統計側でも、証券会社の待機資金などを含む非銀行金融機関の預金が上半期に4.65兆元増と、前年より伸びを2.1兆元広げています[1]。
背景には金利があります。2025年5月の主要行一斉利下げ以降、1年物の定期預金金利は0.95%前後という低い水準が続いています[4]。そして今年は、過去の高金利時代に預けられた定期預金の満期が集中する年で、証券会社の試算では満期を迎える定期は約7兆ドル(約50兆元)にのぼり、別の証券会社は約75兆元とさらに大きく見積もっています[4]。満期のたびに、預け直すか、動かすかの選択が家計に突きつけられる構図です。
「転化」を進めたい側の見え方
この資金移動を、政策の側は後押ししています。中国証券監督管理委員会の呉清主席は、公式の署名文章で「家計貯蓄が社会投資へ加速的に転化することを後押しし、一次・二次市場の協調的発展を促進する」と明言しました[5]。家計の資産が預金に偏りすぎているという問題意識は以前から語られており、貯蓄を資本市場へ導くことは、企業の資金調達構造を銀行融資から直接金融へ広げる政策の一部でもあります。この見取り図では、春の2兆元は問題ではなく、設計どおりの変化の始まりです。(なお、この節が示すのは政策の「言葉」です。実際に動いたお金の測定は次の節に譲ります。数字の量の差は、説得力の差ではなく種類の違いとしてお読みください。)
「まだ細い流れ」とみる側の見え方
慎重な側は、流れの中身を測り直します。1〜3月に預金から動いた資金の主な行き先は、株式そのものよりも公募基金・銀行理財・保険だったと報じられています[6]。業界には「家計や企業が預金で株を売買しても、主体間で預金と株が持ち替わるだけで、預金の総量は減らない」という整理もあります[6]。
過熱の兆しへの手当ても、すでに始まっています。上海・深セン・北京の3取引所は1月、信用取引の保証金比率を80%から100%へ引き上げました[3]。また、家計の借金の側では、六大国有銀行の個人住宅ローン残高が前年から約0.71兆元減っています。早期返済と、新規の借入需要の急減(1〜3月の家計向け新規貸出は前年比71.5%減)の両方が効いた数字で、「投資へ」だけでなく「借金返済へ」もお金が向かっていることを示します[7]。
私の意見
まず、この号は三部作の三本目です。韓国からは2025年に736億ドルの米国株買い越しがあり、その主役は個人投資家だったと報じられています(No.018)。日本の家計はNISAで累計71兆円を買い付けました(2025年末・金融庁)[8]。そして中国の家計が、この春に2兆元を動かしました。三つの経済で同じ向きの地殻変動、つまり家計マネーの「預金から運用へ」が、違う速度と違う出口で起きています。