稼いだお金は、どこへ行くのか|経常黒字なのにウォンが弱い理由
教科書なら通貨高のはずの国で、なぜ通貨が沈むのか。ウォンは貿易の話ではなくバランスシートの話。「韓国版・貯蓄から投資」の合成の通貨安は、新NISA以後の日本にも他人事ではありません。
人の性の善なるは、猶ほ水の下きに就くがごときなり。(『孟子』告子上より)
孟子は人の本性を必ず低い方へ流れる水にたとえました。お金の流れも同じです。止めようとしても自然な力で流れるべき方向へ流れます。ただしお金の場合どこが「低い方」なのかは金利や貿易収支だけでは決まりません。今週は水が上に向かって流れているように見える国、韓国の配管をたどります。
今日のトピック
まずつじつまの合わない数字を並べます。韓国の経常収支は5月に386.1億ドルの黒字を記録しました。3月に付けたばかりの過去最高(379.3億ドル)をまた更新したのです。1〜5月の累計は1,412.8億ドル。前年同期(339億ドル)の4倍超に跳ね上がっています。政府は7月14日に2026年通年の経常黒字予想を引き上げました。従来の1,350億ドルから2,900億ドルへと2倍以上に増やしています[1]。
教科書どおりならこれは強烈な通貨高の材料になります。ところがウォンは6月5日夜の時間外取引で1ドル=1,560ウォン台まで下落しました。2009年の金融危機以来、約17年ぶりの安値圏に沈んだのです[2]。BISの実効為替レート(貿易相手国通貨の加重平均に対する強さ)で見ても2025年5月から2026年5月の12か月で8.1%下落しています[2]。記録的な黒字と17年ぶりの通貨安が同居しました。この逆行を今日は詳しく見ていきます。
種明かしはお金の出入りの分解にあります。貿易で入ってくる以上のお金が投資として出ていっているのです。出ていく主体を順に見ていきます。
まず外国人投資家です。上期に韓国株を売り越した規模は国際収支の統計で1,102億ドル、取引所の集計でも約148兆ウォンです。どちらの物差しでも1,000億ドル規模にのぼります。6月単月の323.7億ドルは2008年の統計開始以来最大の月間流出でした[3]。売られた株はKOSPIの急騰で膨らんだ外国人の持ち分になっています。KOSPIは6月に一時年初来の上昇率が100%に達したと報じられました。6月19日に史上最高値9,385.59を付けたあと、7月13日(8.95%安)と16日(6.37%安)の急落で上昇分をかなり吐き出しています[4]。
次に韓国の個人投資家です。韓国からの米国株買い越しは2025年に736億ドル。前年の約5倍にのぼっており、その主役は個人投資家でした。2026年は4〜5月にいったん売り越しに転じたものの6月には買い越しへ戻っています[5]。
そして国民年金(NPS)です。運用資産1,670兆ウォンの巨艦は資産の3分の1超を海外株式で運用しています(2026年3月末で36.5%)。構造的にウォンを売って外貨を買い続ける存在です[6]。
この構図を韓国銀行自身が数字にしています。6月18日に公表された研究ノートの推計は明確です。海外投資が平均より3%増えるとウォン安方向へ0.7ポイント働きます。投資所得の受け取りが8%増えるとウォン高方向へ0.4ポイント働きます。稼いだ投資所得が国内へ戻らず海外で再投資される比率が1ポイント上がるだけでウォン安方向へ0.4ポイント働くのです[7]。貿易で稼ぎ投資で出ていき投資の稼ぎも戻ってきません。黒字の国の通貨が安い理由はこの配管図でほぼ説明がつきます。
「成熟の証」とみる立場
この逆行を心配より進化として眺める立場があります。お金が外へ向かうのは家計と年金が国内資産一辺倒から国際分散へ移行しているからだという見方です。資本が自由な成熟市場に向かっています。
実際出ていく一方ではありません。債券には入ってきています。韓国国債は世界国債インデックス(WGBI)への組み入れが2026年4月から11月まで月次8回の分割で進行中です。外国人は2026年に入って累計62.9兆ウォンの韓国債券を買い越しました[8]。日本の機関投資家が組み入れに先回りして韓国国債を買っているという報道もあります[8]。株は売られ債券は買われ個人のお金は外へ向かいます。一方通行ではなく双方向の太いパイプができつつあります。
当局の防衛線も機能しています。BoKは7月16日に3年半ぶりの利上げへ踏み切りました。2.50%から2.75%へと全会一致で決定しています[9]。NPSは4月に為替の戦略的ヘッジ比率を10%から15%へ引き上げました[6]。外貨準備は6月末で4,273.6億ドルです。小幅ながら増えており弾は残っています[9]。利上げ後ウォンは1,480ウォン台まで水準を切り上げました[2]。
「過熱の影」を警戒する立場
慎重な立場は同じ配管の中に過熱の兆候を見ます。国内の信用取引残高は6月下旬に38.6兆ウォンと過去最高を更新しました。7月に入っても37兆ウォン台と高い水準にあります[10]。
KOSPIの変動性指数(VKOSPI)は急伸しました。レバレッジ商品が広がる前の53前後から7月3日に90.8まで上昇したのです。同日には年初からの取引制限の発動が31回に達し2008年の記録を上回ったと報じられています[10]。
当局は動きました。7月16日に副総理が主宰し韓国銀行・金融委員会・金融監督院が加わる関係機関の合同会議が単一株レバレッジ商品への規制強化を決めています。基本預託金を1,000万ウォンから3,000万ウォンへ引き上げます(8月5日ごろ施行)。投資者教育の拡充に新規レバレッジ商品の上場一時停止なども含まれます。当局の試算では現在12兆ウォンの市場規模が4〜5兆ウォンへ縮小する見込みです[11]。
BoKのシン・ヒョンソン総裁は利上げ後の会見で株式市場の変動について語りました。「実体経済に波及するようなシステミックリスクの要因は多くない」「株式は他の債務・流動性関連の指標と違いシステミックリスクにつながる経路が少ない」と述べています[12]。一方で同じ日に同じ市場への規制は強化されました。この二つの動きをどう整合させて受け取るかは読み手に委ねられます。
私の意見
先に結論を書きます。ウォンの安さは貿易の話ではなくバランスシートの話です。経常収支は「モノとサービスの出入り」を測る物差しに過ぎません。通貨の値段を最後に決めるのは「資産の置き場所」の選択のほうです。韓国の家計・年金・企業は稼いだお金の置き場所を国内から海外へ動かしている最中です。そのフローが貿易の黒字を上回っています。BoK自身の研究がこの構図を数字で認めたこと[7]が今回の材料のなかで最も重いと私は考えています。
次に日本の読者にとっての意味を考えます。これは私の類推ですが、いま韓国で起きていることは日本が20年かけて進めてきた「貯蓄から投資」の圧縮版に見えます。日本もとりわけ2022年以降は経常黒字を積み上げながら円が安い時期を経験してきました。黒字の主役が貿易でなく海外投資の稼ぎ(第一次所得収支)になったのです。その稼ぎの相当部分が現地で再投資されて円買いに結びつかない構図も共通します。家計の外貨投資が細い流れだった日本と違い、韓国は年間700億ドル超を米国株に投じます。個人投資家を主役に一気に外へ出たのです[5]。
国民の資産形成としては合理的な行動が合成されると自国通貨の重しになります。合成の誤謬ならぬ合成の通貨安です。この型は新NISA以後の日本を考えるうえでも他人事ではありません。
そのうえで7月16日の利上げの意味を置き直します。解説09で利上げは資本流出への歯止めになりうるかという問いを立てました。今回の利上げが効いたのは金利差そのものというより「当局はウォンを放置しない」というシグナルの部分だと私はみています。25bpの金利差で年金や家計の国際分散が止まるはずはありません。実際利上げの前後で構造のほうは何も変わっていません。変わったのは投機的にウォン安へ乗る取引のコストと心理です。シグナルの効果が時間を稼ぎます。その間にWGBIの組み入れ(11月まで毎月続く債券への追い風[8])とNPSのヘッジ引き上げ[6]という実弾の効果が上乗せされていきます。そういう順序の話だとみています。
最後にこの見立てが外れる道筋を挙げます。ひとつは配管が半導体に一本足で立っていることです。黒字の源泉は半導体輸出でありKOSPIの上昇も外国人の売りの原資も元をたどれば同じサイクルになっています(No.017)。サイクルが本当に折れれば最悪の組み合わせが生まれます。「フローは出ていくのに黒字は細る」という状況になり、ウォンの下値は切り下がるでしょう。もうひとつは逆向きで外国人の株売りが一巡した場合です。1,000億ドル規模の売りが止まるだけで記録的な経常黒字が突然為替に効き始めます。そのときのウォン高は輸出企業の採算と株価にとって逆風です。どちらに転んでもこの国の通貨は当分静かにはなりそうにありません。水は低きに就く。ただどこが低いかを決めているのは金利でも貿易でもありません。それは資産の置き場所を選ぶ無数の意思決定が決めます。その流れが変わる瞬間を数字で確かめ続けます。
注目の数字
323.7億ドル
6月のひと月で外国人投資家が韓国株から引き揚げた額です。2008年の統計開始以来最大の月間流出でした[3]。5月のひと月で韓国が経常収支で稼いだ額(386.1億ドル)[1]の8割強に相当します。月は一つずれますが稼ぐ力と出ていく力が同じ桁で拮抗している構図がこの二つの数字に出ています。
見ておきたい材料を挙げます。a) 毎月上旬に出るBoKの国際収支と外国人売買動向で「稼ぐ力と出ていく力」の差がどちらへ開くか[1][3]。b) WGBIの月次組み入れが11月の完了まで債券への資金流入を支え続けるか[8]。c) 8月27日の次回BoK会合で追加利上げがあるか[9]。この三つの推移で今日の見立ては採点できます。
今日はここまでにします。良い一日を。
出てきた言葉
経常収支: モノ・サービス・投資所得など、国境をまたぐ稼ぎの出入りの合計。黒字は「稼ぎ超過」を意味するが、そのお金がどこに置かれるかまでは決めない。
実効為替レート(NEER): 特定の1通貨でなく、貿易相手国の通貨全体に対する強さを加重平均した指数。BISが月次で公表する。
WGBI(世界国債インデックス): 世界の主要国債で構成される代表的な債券指数。組み入れられると、指数に連動する世界中のファンドから機械的な買いが入る。
NPS(国民年金公団): 韓国の公的年金の運用機関。運用資産約1,670兆ウォンは世界最大級で、資産配分の変更が為替市場を動かす規模を持つ。
戦略的ヘッジ比率: 年金などが海外資産の為替リスクをどこまで先物などで打ち消すかの方針値。ヘッジを増やすことは、実質的に自国通貨買いのフローを生む。
投資所得の再投資: 海外投資から得た配当・利子を国内へ戻さず、そのまま海外で運用し続けること。統計上は黒字でも、為替市場にはウォン買いが発生しない。
出典
[1] koreaherald.com / fnnews.com / v.daum.net
[2] koreaherald.com / koreatimes.co.kr / data.bis.org
[3] etoday.co.kr / etnews.com / koreatimes.co.kr / biz.heraldcorp.com
[4] cnbc.com / fnnews.com
[5] cnbc.com / newspim.com / en.sedaily.com
[6] fund.nps.or.kr / en.sedaily.com
[7] hankookilbo.com / sedaily.com
[8] lseg.com / m.ajupress.com
[9] bok.or.kr / koreatimes.co.kr / newspim.com
[10] fnnews.com / fnnews.com / koreajoongangdaily.com
[11] fnnews.com / fnnews.com / fnnews.com
[12] khan.co.kr
(まくら) 『孟子』告子上「人性之善也、猶水之就下也」: 中國哲學書電子化計劃: https://ctext.org/mengzi/gaozi-i/zh
お断り
本記事は公開情報にもとづく解説であり、特定の金融商品の売買を推奨する投資助言ではありません。為替・株価・統計の記述は各時点の公表値・報道にもとづくもので、その後変わっている可能性があります。「私の意見」の節は、断定的な予測や売買の推奨ではありません。投資判断はご自身の責任でお願いします。
あなたの声を聞かせて
黒字なのに通貨が安い国。あなたは「成熟の証」と「過熱の影」のどちらを重くみますか。日本の新NISAとの相似についても、ご意見があればぜひ返信で。速報や補足はX(@noposihq)でも発信しています。よろしければフォローを。