弱い雇用と改善した失業率を受け利上げ観測は半分だけ生存
弱い雇用と「改善」した失業率が同居した一夜。円は一時160円64銭、利上げ観測は半分だけ生き残りました。前号で示したチェックリストを、結果で上から順に埋めていきます。答え合わせの号です。
「コンピューター時代は、至るところで目にする。ただし生産性統計の中にだけは見当たらない。」1987年7月12日、ニューヨーク・タイムズ・ブック・レビュー誌に載った書評「We'd Better Watch Out」の一節です。書いたのはノーベル経済学賞受賞者のロバート・ソローでした。
ソローが指摘したのは目に見えている変化と公式統計の食い違いでした。今回の雇用統計はもう一段ひねりが利いています。逆説が起きているのは統計と現実の間ではありません。統計の中身どうしの間です。雇用者数だけを見れば明らかに弱い。失業率だけを見れば明らかに改善している。一つの発表が二つの顔を同時に見せてきました。ギアがどちらに入っているのか。数字だけでは判じにくい朝です。
今日のトピック
+5.7万人。昨夜21時30分に発表された6月の米雇用統計(非農業部門雇用者数、NFP)はこの数字でした。市場予想(集計により+11万〜+11.5万人)のほぼ半分です。事前のエコノミスト予想レンジ(FactSet集計で+7.0万〜+15.0万人)の下限も下回っています[1][2]。ところが同じ発表の中で失業率は4.3%から4.2%へ下がりました[1]。
弱い数字と「改善」した数字が同じ統計に同居しています。ドル円は発表直後に一時160円64銭まで売られました。その後は買い戻されて今朝の東京市場では161円台前半です。9月までの米利上げ観測(Investing.com集計)は63.5%から約52%へ後退しました[11][13]。
数字ははっきり下振れたのに相場は半分しか動きませんでした。この落差から始めます。
改定と参加率が語ること
noposiは前号No.006で「何を・どの順で見るか」の基準を置きました。今回はその基準に沿って結果を確認します。
まず実数です。非農業部門雇用者数は+5.7万人でした。失業率は4.2%(前月4.3%)です。平均時給は前年比+3.5%で前月の+3.4%から加速しました。前月比は+0.3%と予想通り。労働参加率は61.5%へ下がりました(前月61.8%)。週平均労働時間は34.3時間で横ばいでした[1]。
民間部門の雇用増は+4.9万人でした。全体の+5.7万人より小さいので差の約8千人は政府部門が埋めた計算になります。業種別では専門・ビジネスサービスが+3.6万人、社会扶助が+2.5万人、ヘルスケアが+2.2万人と増えました。一方でレジャー・接客業は-6.1万人と大きく減りました。小売や情報はほとんど動かず製造業は+3千人でした[1][4]。
過去分も動きました。4月分は+17.9万人→+14.8万人で-3.1万人でした。5月分は+17.2万人→+12.9万人で-4.3万人です。2カ月合計で-7.4万人の下方改定になります[1]。増加分(+5.7万人)より改定の目減り(-7.4万人)のほうが大きい。雇用者数の水準そのものは前回発表時点の想定より1.7万人低いことになります。直近3カ月平均は約11万人です。前回発表時点では約19万人と受け止められていました。今回の改定を映すと3〜5月の平均は約16万人に縮みます[1]。
前号では「前回は改定だけで合計+9万人あまり上振れた。初報と改定はセットで見る」と書きました。今回は逆方向に動きました。雇用統計の初報は年に一度の基準改定でも大きく動きます。2026年2月の基準改定では、2025年の雇用増が当初の+58.4万人から+18.1万人へと40万人以上引き下げられました[20]。
失業率の低下は雇用が増えたからではありません。労働参加率が61.8%から61.5%へ下がったからです。米メディアによれば6月は約72万人が労働力人口から退出しました。参加率はコロナ期を除けば約50年ぶりの低さだと報じられています[3]。広義の失業率(U-6)も8.1%から7.9%へ低下しました。ただし中身は改善と悪化のまだら模様です[1]。
雇用統計は二本立てです。雇用者数(NFP)は事業所への調査から。失業率は家計への調査から作られます。別々の調査なので逆方向を指す月があります。今回はその典型例です。
市場の反応は数字の下振れ幅ほど大きくはありませんでした。ドル円は発表直後に急落して一時160円64銭まで売られました。発表前からさらに円高が進んだあと買い戻されています。ニューヨーク市場の終値は161円近辺で、今朝の東京市場では161円台前半です[13]。
米2年債利回りは発表前の4.2%近辺から4.1%台前半へ低下しました。年内利上げ観測の巻き戻しを映しています[12]。ドル指数は約2週間ぶりの安値をつけました[25]。9月FOMCまでに少なくとも1回利上げがある確率(Investing.com集計)は、63.5%から約52%へ下がりました。7月会合単体の織り込みも31%から19%前後へ低下しています[11]。
米国株はまちまちです。ダウ平均は+1.1%で史上最高値を更新しました。一方のナスダック総合はハイテク株安で-0.8%と下げています。S&P500はほぼ変わらずで引けました[19]。金は+2.3%で1オンス=4,124ドルへ急伸。一時4,144ドルをつけています。
弱い雇用→米金利低下→ドル安→金買いへという教科書通りの連鎖です。No.005で「カギは実質利回り・ドル・9月FOMC観測」と書いた構図がそのまま動きました[17]。「弱い雇用→利上げ観測後退→株高」とは一直線に進みませんでした。この点は書き留める価値があります。なお本日7月3日は独立記念日(7月4日・土曜)の振替にあたり米国市場は株式・債券ともに終日休場です[18]。
参加率の低下は強気にも弱気にも解釈できます。退出の増加は需要の弱さのサインであり、弱気の材料になります。だが同時に働く人の供給が減れば企業は賃金を上げ続けざるを得ません。賃金インフレの火種は残ります。供給の減少は雇用の「必要水準」そのものも引き下げます。参加率61.5%という同じ一つの事実が立場によって正反対に解釈できるのです。エコノミストの間で解釈が割れている理由はここにあります。
雇用の「合格ライン」は下がっているのか
まずは数字ほど悪くないという立場から考えます。米国では移民の流入が急減して労働力人口の伸びが鈍っています。新しく働き始める人が少なければ、失業率を安定させるのに必要な雇用増も小さくて済みます。これをブレークイーブン(損益分岐)水準と呼びます。
連銀系の研究がこの水準の低下を相次いで指摘しています。ダラス連銀は2025年後半にはほぼゼロ近傍まで下がったと推計しました[7]。セントルイス連銀は2026年のブレークイーブンを月+1.5万〜+8.7万人と試算しています[8]。FRBのスタッフ試算も2026年に必要な雇用増を月1万人未満とみています[9]。どの物差しで見ても+5.7万人は必要な水準を割り込んでいません。
賃金も減速していません。平均時給は前年比+3.5%です。前月の+3.4%からむしろわずかに加速しました。前月比も+0.3%で安定しています[1]。Fedのウォーシュ議長は発表前日の7月1日、ポルトガルでの国際会議で「インフレは依然として高すぎる」と語っていました[10]。
雇用の量が減速しても賃金と物価が高止まりするなら利上げの論拠は消えません。実際に市場の9月利上げ織り込みは約52%です。ほぼ五分五分で残っています[11]。
統計そのものへの疑いもあります。過去分がこれだけ動く初報を額面通り受け取るべきではないという声です。米系運用会社の担当者からは「W杯開催中に接客業の雇用がマイナスになるとは考えにくく、今後上方改定される」との見方が出ました[5]。
レジャー・接客業はこの春に強い伸びを見せています。5月は速報値で+7.0万人でした[21]。BLS自身も「2026年に入ってからの同業種の雇用はほぼ純増減なし」と総括しています[1]。春の前倒し採用の反動が6月のマイナスに出ただけなら、実態は数字ほど悪くありません。
「改善」は、退出の裏返しではないのか
減速は本物という立場から見ます。+5.7万人は予想レンジの下限(+7.0万人)も割り込みました。しかも過去2カ月分が計7.4万人下方改定されています。増加分より改定の目減りのほうが大きいので、雇用者数の水準は前回発表時点の想定より低くなります。
直近3カ月平均も、前回発表時点の約19万人(当時の3〜5月)から約11万人(4〜6月)へ切り下がっています[1][2]。「約2年ぶりの強さ」と報じられた5月の物語は改定でほぼ消えました。
失業率の「改善」も求職者が職を得た結果ではありません。労働力からの退出で分母が縮んだ面が大きいのです[3]。米系運用会社のエコノミストは、過去1年で約250万人が労働力から脱落したと試算しました。「求職を諦めた可能性が高い」と言及しています[5][6]。
働く人の裾野が縮みながら失業率だけが下がる状態は強さではありません。需要の弱さと供給の縮小が同時に起きているサインです。
消費に近い業種も沈んでいます。民間の雇用増+4.9万人のうち、景気に左右されにくいヘルスケアと社会扶助だけで+4.7万人を占めています。専門・ビジネスサービスも+3.6万人増えました。だが消費の最前線にあるレジャー・接客業は-6.1万人と大きく減っています。小売や情報はほとんど動きませんでした[1][4]。
米系エコノミストはこの結果を「冴えないレポートの最大の汚点」と呼びました。労働市場は「セカンドギアに固定された」状態だと形容しています[4]。米系銀行のエコノミストからは「採用の少ない環境が続けば、今後さらに雇用が弱含み、失業率は上がっていく」との見方も出ています[24]。
市場の判定は明確です。9月までの利上げ織り込みは63.5%から約52%へ。一晩で約11ポイント剥落(はくらく)しました[11]。
余談です。前号の公開直前に起きた「発表前の円急伸」(162円台→一時160円台)に続報が出ています。ロイターは7月2日の報道で、日本の当局が投機的な円売りを狙い撃ちする「不意打ち型」の介入戦術に転換する可能性があると伝えました。口先介入などの事前シグナルを出さないやり方です。
市場ではこの報道をきっかけに投機筋が円の売り持ちを買い戻しました。円高が加速したとの見方が報じられています[14]。つまり夕方の円急伸は、「介入そのもの」ではなく「介入への警戒が生んだポジション調整」だった可能性が高いです。ただしこれも報道ベースの見立てです。
三村財務官は7月2日夕に記者団へ「何も申し上げるつもりはない。一切コメントは控える」と話しました。介入の有無について肯定も否定もしていません[15]。レートチェックの報道も確認されていません。
介入が実際にあったかどうかは、財務省が月末に公表する介入実績を待つしかありません。次回の公表は7月31日で対象は6月29日〜7月29日分です[16]。
もう一つ答え合わせが済んでいない謎があります。レジャー・接客業の-6.1万人です。BLSは「例年より弱い季節採用を反映した」と説明しています[1]。
W杯観戦の旅行需要で強くなるはずでした。米系証券は+4万人のブーストを見込んでいます。それが外れました。米政権の経済当局者ですら「ちょっとした謎だ」と認めています[4]。
大会の経済効果が期待を下回っている兆しは開幕前からありました。旅行需要の押し上げは企業の実感に現れませんでした[22]。開催都市ではホテル予約の多くが事前予測を下回ったと業界団体が報告しています[23]。
春の採用前倒しの反動(統計の歪み)なのか、消費の実需の弱さなのか。結論は逆になります。判定材料は7月分の数字と今後の改定を待つしかありません。
私の意見
雇用は明確に下振れました。市場の初動は前夜の円急伸の半分を戻す程度です。利上げ観測も半分は生き残りました。これが今回の結果です[1][11][13]。半分ずつというこの中途半端さが今日の論点です。