「織り込み済み」とは何か|市場はニュースの前に動く
「利上げしたのに通貨が下がった」。その多くは織り込みの構造で説明がつく。市場はニュースの前に動く。どこまで動いているかは、確率のかたちで毎日見られる。仕組みを一度だけ丁寧に。
玄人筋の行う投資は、100枚の写真のなかから最も美しい6つの顔を選ぶ、新聞の美人投票に見立てることができる。(ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』第12章より)
ケインズの美人投票で賞を取るのは、自分が美しいと思う顔を選んだ人ではありません。みんなが選びそうな顔を当てた人です。市場も同じで、参加者は発表を待たずに、他人の予想を先回りして売り買いします。その先回りの集積が価格に沈殿したもの、それが「織り込み」です。
① なぜいま「織り込み」の解説か
noposiの記事には「織り込み済み」「織り込みが剥がれた」という言葉が繰り返し出てきます。7月2日の夜もそうでした。米雇用統計が予想の半分と出て、円が急伸し、利上げの織り込みが一晩で剥落しました(No.007)。
ですが「織り込む」とは、そもそも何をしている話なのか。誰が、どこで、何を織り込んでいて、それはどこで見られるのか。この記事は特定のイベントを追う号ではなく、市場ニュースの読解に毎回使う「織り込み」という概念を、一度だけ丁寧に整理しておく常設の解説です。答える問いは、何を織り込んでいるのか、米国ではどこで見えるのか、日本ではどこで見えるのか、そして織り込みはどう動くのか。この4つが腹落ちすると、「利上げしたのに通貨が下がった」といった一見不思議な値動きが、かなりの部分まで筋の通った話になります。
② 何を織り込んでいるのか 価格は予想でできている
証券会社の用語集は「織り込み済み」をこう定義します。「株価に影響のある要因が、既に株価に反映されていること。つまり新たなニュースが出ても、株価が動かなかった場合などを織込み済みという」[1]。
背景には、市場価格は利用可能な情報をすでに反映している、という考え方(効率的市場仮説)があります[1]。厳密な学説としては論争が続きますが、実務的な含意はシンプルです。市場参加者は発表を待たずに、予想に基づいて先に売り買いします。だから発表の瞬間に価格を動かせるのは、予想になかった部分、つまり実績と予想の「差」だけになります。
この「差だけが動かす」という発想は、指標にすらなっています。経済指標の実績と事前予想の乖離だけを集計した「サプライズ指数」(エコノミック・サプライズ指数、通称びっくり指数)です[9]。noposiが毎回「予想(コンセンサス)はいくつだったか」「予想のレンジはどこか」にこだわるのは、このためです(実例はNo.006の見取り図)。
③ 米国ではどこで見えるのか 金利先物が「確率」に変える
では、その「予想」はどこで見えるのか。米国では、金融政策の織り込みが金利先物という市場価格から、確率のかたちで取り出せます。仕組みは意外と素朴です[2][3]。
FF金利(米国の政策金利)の先物は「100−先物価格=市場が見込む金利」となるように設計されています。たとえば先物価格が95.025なら、織り込まれた金利は4.975%です[3]。そして、いまの金利と「利上げが実現した場合の金利」の間のどこに織り込み金利が位置するかを割り算すれば、利上げ確率が出ます。同じ論文の別の例でいえば、織り込み金利が現行より0.155%高く、利上げ幅の想定が0.25%のとき、0.155÷0.25=62%が「市場の見る利上げ確率」になります[3]。
この計算を毎日自動でやってくれるのが、CMEのFedWatchに代表されるツールで[2]、アトランタ連銀も同種の確率トラッカーを公開しています[4]。noposiの記事で「7月会合の据え置き確率81.2%(7月3日時点)」のように書くとき(解説03)、出どころはこの種の計算です。なおツールごとに参照する商品や手法が違い(FF先物を使うもの、オプションから分布を推定するものなど[2][4])、水準には差が出ます。だから「どのツールの数字か」を確かめるのが、受け取り方の作法になります。
④ 日本ではどこで見えるのか OISに日銀観測が集約される
日本にも同じ仕組みがあります。翌日物金利スワップ(OIS)は、無担保コール翌日物金利(TONA)と固定金利を交換する取引で、そのレートには「この先、日銀の政策金利がどう推移するか」の市場の見方が集約されます[5]。
見方の骨格は米国と同じ割り算です。会合をまたぐ期間のOISレートが、いまの金利と利上げ後の金利の間のどこにあるかを見ます。たとえば現行金利0.08%・OISレート0.15%・利上げ後の想定0.25%なら、(0.15−0.08)÷(0.25−0.08)≒41%が織り込みの水準になる、という具合です[6]。報道では「スワップ市場が織り込む10月会合までの追加利上げ確率は約60%」(2026年7月2日)のように引用されます[5]。
ここで大事な注意をひとつ。この計算は「利上げ後の水準」の想定に依存します。同じOISレートでも、利上げ後を0.25%と置くか0.23%と置くか、つまり利上げ幅を0.17%とみるか0.15%とみるかで、確率は41%にも47%にも変わります[6]。確率はレートから逆算した解釈であって、市場が投票した数字ではありません。
⑤ 織り込みはどう動くか 「材料出尽くし」と「剥落」
どこで見えるかがわかったら、残る問いは「どう動くか」です。織り込みが腹落ちすると、定番の値動きがいくつか見えてきます。
織り込み済みの決定では動かない むしろ逆に動く
ほぼ100%織り込まれた利上げが実際に発表されても、新しい情報はほとんど残りません。むしろイベント通過で、先回りしていた買いの手仕舞いが出て、逆方向に動くことさえあります。相場格言の「うわさで買って事実で売る」、用語でいう「材料出尽くし」です[10]。「利上げなのに通貨安」は、この構造で説明がつくことがよくあります。
決定は織り込めても、言葉までは織り込めない
2026年6月のFOMCでは、据え置き決定そのものはほぼ完全に織り込まれていました。それでも市場が大きく動いたのは、同時に公表された金利見通し(ドットチャート)が利上げ方向へシフトしていたからです(解説03)。サプライズは決定より、付随する見通しと発言に潜みます。
剥落 市場が意見を変えた瞬間
そして織り込みは、新しいデータで巻き戻ります。7月2日の弱い雇用統計で、9月会合までの利上げ織り込みは63.5%から約52%へ、7月会合分は31%から18.8%へ、一晩で剥がれました(Investing.com集計)[7]。この「変化幅」こそが、ニュースの重さの実測値です。水準(いま何%か)より、イベントの前後でどれだけ動いたかを見る。これが織り込みの実戦的な使い方です。
⑥ ノーポジの整理
最後に、織り込みを過信しないための実例を挙げます。2015年1月、スイス国立銀行は対ユーロの為替上限を予告なく撤廃し、フランは瞬間的に30%超も急騰しました。事後にスイス国立銀行自身のワーキングペーパーが検証しています。オプション価格にも市場の流動性にも、政策転換を予想した形跡はなかった、つまり市場はほぼ織り込めていなかった、と結論づけています[8]。もっと身近な例では、2026年の米市場は年初、利下げを織り込んでいました。それが年央には、利上げ観測へと180度転じています[11]。もちろん、多くの会合では織り込みどおりの決定が粛々と実現します。温度計として十分に有用ですが、外れることもあります。その両面をセットで持っておくのが安全です。
実務のチェックリストにするとこうなります。
- 価格を動かすのは実績と予想の差。だから発表前に「何がどこまで織り込まれているか」を確かめます。
- 確率は「どのツール・どの前提か」とセットで見て、水準より変化を追います[3][6][7]。
- 織り込みは市場の現在の意見であって、予言ではありません[8]。
意見はデータ一つで変わります。その変わり身の速さこそが、7月2日の夜に私たちが見たものでした。
用語メモ
織り込み済み: 材料がすでに価格に反映されている状態。ニュースが出ても動かない理由の定番。
コンセンサス: 複数のエコノミスト等の予想を集計した市場の平均的な見方。
レンジ(予想の幅): 予想の最小〜最大の幅。実績がレンジの外に出るとサプライズが大きい。
FF金利先物とFedWatch: 米政策金利の先物価格から利上げ・利下げ確率を計算する仕組みと、その代表的ツール。
OIS(翌日物金利スワップ): 翌日物金利と固定金利を交換する取引。日銀の政策金利観測の集約点。
材料出尽くし: 織り込まれた材料が現実になり、それ以上の買い(売り)材料がなくなること。
剥落: 新しいデータで織り込みが巻き戻ること。剥がれた幅がニュースの重さの実測値になる。
サプライズ指数: 経済指標の実績と予想の乖離だけを指数化したもの。
出典
- [1] 野村證券 証券用語解説集「織り込み済み」: nomura.co.jp /「効率的市場仮説」: nomura.co.jp / 大和証券「効率的市場仮説」: daiwa.jp
- [2] CME FedWatch Tool(30日FF金利先物から確率算出): cmegroup.com / ユーザーガイド: cmegroup.com
- [3] Keasler & Goff「Using Fed Funds Futures to Predict a Federal Reserve Rate Hike」Journal of Economics and Finance Education (2007)(織り込み金利=100−先物価格・確率の計算例): economics-finance.org
- [4] アトランタ連銀 Market Probability Tracker(オプション価格から確率分布を推定・日次更新): atlantafed.org
- [5] 日本銀行「日本円OIS 取引の概要と活用事例」(OISレートは翌日物金利の市場見通しを反映): boj.or.jp / Bloomberg「スワップ市場が織り込む10月会合までの追加利上げ確率は約60%」(2026年7月2日): bloomberg.co.jp
- [6] 服部孝洋(東京大学)「日銀の利上げの予測に用いられるBOJスワップ:利上げ確率の計算例」(OISからの利上げ確率の計算例と、想定利上げ幅で数値が変わる限界): note.com / 著者の公開教材一覧: sites.google.com
- [7] 2026年7月2日の織り込み剥落(9月まで63.5%→約52%・7月会合分31%→18.8%=Investing.com Fed Rate Monitorの2026年7月2日取得値。ツール間で水準差あり): investing.com / 同夜の解説記事(7月会合分の利上げ観測が31%→19%弱に低下): investing.com ※経緯はNo.007本文を参照
- [8] スイス国立銀行ワーキングペーパー(2016年)「フラン上限撤廃を市場は予想していなかった」: snb.ch / 急騰幅の参考: Bruegel: bruegel.org
- [9] 野村證券 証券用語解説集「サプライズ指数」(実績と予想の乖離を指数化・シティグループ算出): nomura.co.jp /「コンセンサス(調査)」: nomura.co.jp / 予想レンジの実例: FactSet: insight.factset.com
- [10] 野村證券 証券用語解説集「材料出尽くし」: nomura.co.jp / buy the rumor, sell the factの解説: financialsource.co
- [11] JPモルガン公開リサーチ(2026年の利下げ観測→利上げ観測への転換の記録): jpmorgan.com
ディスクレーマー
本記事は公開情報にもとづく市場の仕組みの解説であり、特定の金融商品の売買を推奨する投資助言ではありません。織り込み確率など相場に関する記述は執筆時点(2026年7月17日改稿・確率の例は7月2〜3日時点)までの経緯で、その後変わっている可能性があります。投資判断はご自身の責任でお願いします。
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